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3月 12
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昨日14時46分。私は外苑前に向かうタクシーの中で、赤坂見附交差点に差しかかるところでした。

車体が大きく横にも縦にも揺れました。車窓から鹿島建設のビルの屋上に設置してあるクレーン車が大きく揺れているのを注目している人々の群れ。

あっという間に青山通りに埋め尽くしている避難のため出て来た群衆。ラジオでは、『三陸を震源地にマグネチュード8.2(後に9.0に訂正)の大地震発生。津波警報が発令されました。海岸線付近の方は、直ちに避難し、落ち着いて行動してください!』というアナウンサーの声。

なにか、何年か前に見た日本沈没の映画のシーンを見ている思いがしました。

その後の情報は、皆様ご存知の通り、未曾有の被害が出ているようで、この場をかりて被災者の皆様に深くお見舞い申し上げます。

私も小学校時代は仙台で3年間過ごしましたので、友人や親戚(津波の被害で報道された仙台空港、名取市内に居住しています)もおります。未だ安否も確認できませんが、なんとか生存を祈るばかりです。(親戚については、3日後無事が確認されました。)

今回出張の目的の、本日開催予定Home’s主催の『不動産投資フェアー』への出店と講演は、イベントがキャンセルされましたので、本日は当初の予定を変更して本日の便に振り返るべく成田空港にむかいました。

まず、朝8時10分にホテルを出て、新橋駅へ。その時点では京浜東北線のみが間引き運行していまして、新橋駅構内には人が溢れていました。すし詰めの京浜東北線で東京駅に9時到着。地下4階のホームで、千葉行きの総武本線で待つこと約1時間半。3本の列車をやり過ごしてようやく乗り込むが満員電車で千葉駅に着くのが11時20分。12時の成田空港駅(各駅停車)に乗って、12時40分に成田空港駅に到着。

4階の出発ターミナルに行ってみると、運休便からの振替便に長蛇の列。夕方の便でキャンセル待ちをしようとしましたが、本日はキャンセル待ちは対応できないと言われ、断念。そこから成田周辺のホテルの予約を取ろうと電話をしまくったのですが、本日は満室との回答がほとんど。ようやく京成成田駅前のビジネスホテルで押さえることができました。

この14年近く日本国外で生活している私が、たまたまこのタイミングで東京にいたのも偶然ですが、あたらためて地震国のリスクを痛感しました。日本人にとっては、地震と常に向き合わなければならないのは宿命とはいえ、大変なことだと思います。政治も経済も大変厳しい中においての今回の更なる試練。日本人は今こそ、心を一つにして難局を乗り切らなければなりません。

このように書いている今でも余震がまだ続いています。

とにかく皆さん、頑張りましょう。

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