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7月 25
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シンガポールに来てほぼ4ヶ月となりました。あわただしく、出張を繰り返しながらも、住居を借り、子供たちの学校もスタートし、夏休みに入り一息ついた所です。今日は、私の住んでいる家のすぐ近くに歴史的なスポットがあることを発見したのでご紹介します。現在の住まいは、シンガポールのWest CoastのPasir Panjang地区で Kent Ridge Parkに隣接する丘の上にあります。このKentridge Park内にReflections at Bukit Chanduというシンガポールが日本軍から侵攻をうけて、最後の砦となった歴史的建造物が、記念館として保存されています。(あまり日本のガイドブックには持っていないかもしれません。少なくとも地球の歩き方には紹介されていません)

我が家からほんの直線距離で50−60mというところですが、最近まで、この記念館の存在を知らず、つい先週末にKentridge Parkを散歩したついでに拝観しました。



 

 

 

 

 

ケントリッジパーク   最後の砦となった丘から  戦争記念館

この記念館は、太平洋戦争によって、日本軍がそれまでイギリスの植民地であったマラヤ(今のマレーシア)とその首都シンガポールを占領し、イギリス軍が降伏するまでの歴史的事実を客観的に伝えています。1階には、マラヤを統治していた英国が、第一次大戦後資金難に陥り、日本軍が必ずマライに侵略して来る(錫やゴムなどの資源獲得を目的に)事がわかりながらも手が打てずにいた情勢(一方で鉄道、道路などのインフラ整備を行っており、結果的に日本軍の侵略を助けることになってしまった事実)や、1941年12月8日の真珠湾攻撃の50分前に、日本帝国陸軍の精鋭部隊第5師団が、タイの国境からマライ半島の北東のKota Baruに侵攻を始め、約55日間でジョホールバルまで到達し、1942年2月8日にシンガポール侵攻が開始され、2月14日に最後の砦となったこの記念館Bukit Cahnduでマレー抵抗戦線部隊が全滅し、翌日日本軍がPasir Panjang Roadを行進するまでの過程が、ビデオなどを用いて説明しています。マレーの虎と異名をもつ山下隊長の銅像なども展示されています。



 

 

 

 

1Fの展示品       山下隊長銅像    日本軍の侵略ルートの解説

2階は、一転、日本軍に対して果敢に抗戦したマレー兵や日本軍の攻撃の凄まじさや犠牲となった一般市民の事実をかなり迫力のあるシアターで伝えています。

日本軍がおこなった処刑や、蛮行も伝えていますが、中国やフィリピンなどの戦争記念館で展示されている物と比べるとかなり内容的にはソフトなものです。

シンガポールにとって、1945年までの3年間の日本占領の歴史は、当然良い物であるはずがないのですが、意外にも冷静なので驚かされます。ある意味、本来国を守るべき英国軍や同盟国オーストラリア軍があっさり敗北してしまったことに対する批判もあるのでしょうか?最後まで戦ったマレー兵士はほとんど実戦経験のない寄せ集め軍団だったようで、日本の精鋭部隊にかなうはずもないという気がします。

などという推測もしまがら、小1時間過ごして思ったのですが、アジア諸国では日本の歴史教科書が問題になります。海外旅行をする際、特にアジア諸国に行くと、かならず太平洋戦争の歴史記念館があります。我々日本人は日本側からしか語られない日本の歴史を、海外に来て戦場となった現地の歴史記念館などを訪れ、子供に説明してあげることが必要だと思います。「その国がどう言う風に太平洋戦争を見て来たか?」

シンガポールというとマーライオンを見て、ナイトサファリやユニバーサルスタジオで遊び、マリーナベイサンズでカジノに興じるというのが、最近のツアーの定番ですが、たまにはこのような記念館も見ながら公園を散策するというのもいかがでしょうか。

それにても、日本軍がシンガポールを侵略した最後の砦のすぐ裏に我が家が今あるというのはなかなか不思議な感覚です。



 

 

 

 

記念館から我が家が見える 記念館からの眺め  自宅(奥に見えるのが記念館)

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